HOW-JESUS-TAKES-YOU-FROM-CRUSHED-TO-CRUSHIN-IT--full-1116x490 イエスがあなたをどん底から勝利ある人生へと導かれる

あなたは人生で最大の失敗を犯し、どうすることもできないと感じた経験はありますか?

イエスの弟子であるペテロは、愛する主イエスを1度や2度ではなく、3度も知らないと否定し、呪いと罵りの言葉を発しました。その出来事の後で、彼はそんなふうに感じたかもしれません。イエスと3年間を共に過ごし、主が(彼の家族を含む)多くの病人を癒す様子を見て、水の上すら共に歩いたはずなのに、「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております」(ルカ 22:33)と宣言したのと全く同じ日にそんな失敗を犯すことは、漁師ペテロにとって心が押しつぶされる出来事だったに違いありません。


ペテロは痛烈な皮肉を感じていたはずです。彼は自分自身を守るために、正に忠誠を誓ったその相手を否定したのです。


さらに最悪だったのは、自分を否定するペテロの突き刺さるような言葉を、イエス自身が中庭で聞いていたということです。(ある聖書訳では、ペテロが「もし偽りを言っているのなら、私自身が呪われるように。私はその男を知らない!」(マタイ26:74 NLT訳より直訳)とさえ言ったと記録されています。)イエスが彼の方へ振り向いた瞬間、どれほど圧倒的な罪悪感がペテロの心を襲ったであろうか、私には想像すらできません。


しかし、ここで考えたいのは「イエスはどのようにペテロのことをご覧になったか?」ということです。


ペテロの方を向いて、イエスが非難いっぱいに睨みつけたり、がっかりして眉をひそめたり、「ほら言っただろう」という表情を浮かべたり(主は事前にペテロがご自分を否定することをご存知だったにもかかわらず(ルカ22:34 参照))することはなかったと私は考えます。なぜなら、たとえユダヤ人たちに意味もなく嘲られ、ローマ兵たちの鞭により見違えるほど傷つけられ、十字架で手足に釘を打ち付けられた後もなお、イエスは「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのかわからないのです」とおっしゃってくださったからです。


代わりに、イエスは赦しをもって、また優しさをもってペテロをご覧になりました。「ペテロよ、あなたは過ちを犯してしまったが、(あなた自身ではなく!)わたしに対するあなたの信仰がなくならないようにと、すでにわたしが祈ってあげたことを覚えていなさい」(ルカ22:32 参照、AMP訳より直訳)とおっしゃったその御目で、ペテロをご覧になったのです。


そしてイエスは、愛をもってペテロを追い求めることにご自身を費やされました。死からよみがえった後、イエスは弟子たちに、そしてペテロに、御使いを通してご自分の居場所を伝えられましたが、その時ペテロについては特別に言及されました。事実、イエスは彼と個人的な時間を過ごしたであろうと考えられ、その詳細について私たちは知ることができません(ルカ24:34)。その時間の中で、主はペテロを絶えず苦しめていた罪悪感から解放したのだと私は信じています。


第一に、イエスを否定してしまったという痛ましい記憶から、ペテロを癒すことにまで主は気を配られたことをご存知でしたか?ペテロがイエスを否定した決定的な出来事は火の傍で起きましたが、イエスが死からよみがえられた後、弟子たちのために魚とパンの朝食を用意されたのもまた火によってでした(ヨハネ21:9)。ですから、その後は火の燃える匂いを嗅いでも、ペテロが思い出すのは自分の致命的な過ちではなく、自分に注がれる主の愛となったのです。


再びペテロが大胆に立ち上がり、後に福音を宣べ伝え、3000もの魂を救いへと導くことを可能にしたのは、主の際限ない愛だったのです(使徒2章をご参照ください)。


ですから…たとえ人生で乗り越え難い失敗を犯してしまった経験があったとしても、主があなたに失望して頭を横に振ることなど決してありません(ローマ8:1)。イエスは今もあなたを愛しておられます。なぜなら、十字架で死なれた時、主はあなたのすべての失敗を背負い、その裁きを受けてくださったからです。そしてイエスの無償の愛を受け取ることで、あなたはペテロと同じように、どん底から引き上げられて圧倒的な勝利者として人生を歩むことができるのです!

 

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